<室町時代に建立され、670年の歴史を有しています。(2020年現在)>
●1351年(観応二年)4月
・「真言宗光城寺(こうじょうじ)」として祐誓(ゆうせい)が開基と伝わっている。
・以降六代続く 真言宗時代の物は何も残っていない。しかし現在慶寿院に祀られている 大日如来は、光城寺(妙専寺)にあったものと推測される。
◆(日本史の出来事)南朝と北朝に別れ足利尊氏と足利直義が争っていた時代
●現在の山門を建立するときに完全な形ではないのですが宝篋印塔(ほうきよういんとう)が掘り出されました。正確な年代は分かりませんが、学者さんに依りますとこのあたりではかなり立派な墓だということです。木谷氏の墓ではないかと推定されるそうです。
<妙専寺裏手にある宝篋印塔>
●1510年(永正七年)
・七代目教念が本願寺第九代実如上人に帰依(きえ)し真宗に転ずる。
・柏原(かしわばら)院の時代(1500年〜1526年)に、寺号を『光城山妙専寺(こうじようざんみようせんじ)』と公称する、と記録にある。
◆(日本史の出来事)室町幕府12代将軍 足利義稙
●しかし、1615年〜1624年(元和)の頃、寺号(じごう)を隠し道場と言う。このとき何があったのか?
●菅茶山(かんちゃざん)(江戸時代後期の儒学者・漢詩人)の日記に、木谷を通り竹原に向かった時に道の右手に大きな堂宇を備えた明(妙)専寺でお茶の接待を受けたと書き残されている。本堂焼失前のことであろう。
●1850年(嘉永三年)8月14日
・本堂、庫裡(くり)消失。十二世僧寂(そうじやく)十二歳。
◆(日本史の出来事)1853年ペリーの黒船が来航する。
●1857年(安政四年)
・本堂再建の許可がおり三津、吉名、宿根(すくね)、大崎、大長を勧進(かんじん)して回った。
●1858年(安政五年)11月
・入仏法要を執行する。
●1878年(明治十一年)8月
・庫裡(くり)を元屋万助(もとやまんすけ)より金二百円で購入し移築。
・木谷に現存する民家として最も古いものであろう。
・地元の若者を集め軍事教練をするとき、雨天時にはこの庫裡(くり)を使用したと伝えられている。
●真言宗が7代続き、浄土真宗に帰依してからは17代続いている。
<真言宗の時代>
1 祐誓 真言宗光城寺を創建する 1351年 〜 7 教念
<浄土真宗>
1 教念 実如上人に帰依し浄土真宗に改宗する 光城山妙専寺と号する 1510年
2 道西
3 正伝
4 教円
5 存往
6 秀伝
7 恵雲
8 恵順
9 円浄
10 順道
11 僧順 (本堂・庫裏を全焼する)1850年
12 僧寂
13 崇範
14 弘宣
15 道秀
16 道雄
17 法雄
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