一口法話

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 東日本大震災から早一月半になります。私は「早一月半」と思ってしまうのですが、避難所にいらっしゃる方々からすれば長い長い一月半、長い長い一日の積み重ねでありましょう。悲しいことに私たちは100%の相手の苦しみ悲しみを共有するということはできません。どうしても自分の立場からしか見れないのがこの私の限界です。しかし阿弥陀様のお心はお経に「もろもろの衆生において視(み)そなわすこと自己のごとし」とあるように、他の苦しみ悲しみを自己の苦しみ悲しみとされ、他の喜びを自己の喜びとされるのです。その阿弥陀様の大きな慈悲に包まれながら日々の生活を送らせて頂いている私たちです。御同朋、御同行の精神で、100%は無理ですが出来る限りのことはさせて頂かずにはおれません。
 今年は親鸞聖人750回大遠忌の年です。東北では亡くなられたり、どうしても無理になり、参拝が出来なくなった方もたくさんおられます。しかし、「こういう時だからこそ阿弥陀様にお参りをしよう」と福島から団体参拝された方々もいらっしゃったそうです。今回の震災だけに限ったことではなく、災害、事故、病気、私たちは生も死も縁も何一つ思うようには出来ない身です。生まれてくる時、場所も、いのち終わってゆく時、場所も何一つ自分では決める力も持っていません。人生何一つままならないのがこの私なのです。
 しかし、その生も死もままならない私をこそしっかりと抱きとって、必ず仏と成る、確かな人生、大きな意味を頂いた人生を歩ませてくださるのが阿弥陀様です。その阿弥陀様の確かなお慈悲に抱かれるとき、どんな人生であってもどんな状況であっても、私が私の人生でよかった、この縁に出遇えてよかったと、生にも死にも満足していのちを歩ませて頂ける、安心のお念仏の生活を歩ませていただけるのです。
 今回震災に遭われた方々にできる限りの支援をさせていただきながら、実は支えるだけではなく、同時に多くのことを学ばせていただいております。東北の方の言葉に習い、私たちも「こういう時だからこそ、共に阿弥陀様にお参りし、共に阿弥陀様のお慈悲に包まれ」お念仏の生活を送らせて頂きましょう。

 2009年9月7日

 
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