一口法話

3、

 ご法事の際、あるご門徒の方から大変なご苦労のお話を聞きました。その方は難病で視力を失われたということでした。
 視力を失い大変な生活をしていたある日、昔の上司からいいお祓いがあると紹介されたそうです。その方は本当は行きたくなかったけれど、元上司からの気遣いだからということもあり、お祓いを受けに行かれたそうです。
 行ったところ冷たい床の上に座らされ、よけいに体が悪くなると思ったそうです。そして、「昔ああしたのが悪くて今こうなっているのだ」とか、「もう一度お祓いに来ないともっと大変なことになるぞ」と言われ、その方はもう二度と行きたくないと思われたそうです。
 話をされた後、そのご門徒の方は「私には阿弥陀様がいらっしゃるからいいんです」とおっしゃいました。
 お祓いを受けて病を治すというのは、病はダメ、治らなければダメという世界です。しかし、誰しもいつかは病を受け入れていかなければならないのです。病だけでなく、「生老病死」といわれるように、生まれてきたからには、老いも、病も、死も必ずこの身に引き受けていかなければなりません。それなのに、病ではダメ、老いはダメ、死はダメという生き方では、結局、この自分自身のいのちを、人生を受け入れることが出来ず、虚しく終わるいのちとなってしまうのです。
 阿弥陀様は、老いていくまま、病んでいくまま、いのち終わっていくままの、ありのままのこの私を受け止めて下さいます。ありのままの私をめあてとされ、大切に包み込み、共に歩いて下さる仏様です。
 お釈迦様が「人生は苦なり」とおっしゃられたように、私たちは人生の中で様々な苦しみや困難に出会っていかなければなりません。
 しかし、どんな状況や、どんな人生であっても、ありのままの私を受け止めて下さる阿弥陀様に出遇えたときに、はじめて「私が私でよかった」と受け止められる、喜びの人生が歩めるのです。

 2010年4月9日

 
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