一口法話

9、親の涙

 
私は幸いに二人の子供に恵まれました。二人とも女の子だからいろんな人からよく 「男の子をあと一人がんばったら」といわれました。子供は仏様からの授かりものと思っていました。

 4年前に上の娘が、今年9月には下の娘も結婚しました。親として安堵と嬉しさはありますが、何ともいえぬ寂しさも感じるものですね。特に今回は出来たら近くに・お寺にと願っていましたのに縁がなかったようです。思いは叶わぬまま東京に行ってしまいました。

 結婚式はせめてもの願いで東京の築地本願寺の尊前で執り行いました。披露宴では必ずと言っていいほど娘を出す男親は泣くと聞いています。私は泣かないだろうし、絶対に泣かないぞと思っていました。また自信もあつたのですが?涙を止めることが出来ませんでした。親は涙を流す・流さないぞと頑張れるものではありませんね。『涙は私の意志を超えて流れるものだ。流れるべくして流れるものだ』。私は大きな誤りに気づきました。私たちのおや様である阿弥陀様は、いつでも何処でも私のために喜びや悲しみの涙を流してくださっているのだと感じたことでした。

 私たち親に出来ることは限られたことでしかありません。時間・場所を越えることは出来ません。私は如来様と共に人生を歩んで欲しいと願い小さな仏壇を持たせて嫁に出しました。仏壇を一家の中心とした家庭を築いて欲しいと思います。

(言うまでもありませんが、仏壇は亡くなった人が出て初めて据えるものではありません)

 
<< 前の法話  次の法話 >>