一口法話

8、念仏を称える身となって救われる

平成二十三年の親鸞聖人七百五十回大遠忌が近づいてまいりました。前の七百回大遠忌には、小学生で父に連れられてお参りをしたことを覚えています。多くの人達と本願寺の大きな伽藍に驚きましたが、旅館の水洗便所を目にしたのが一番印象的でした。

 御門主様が、一昨年に立命館大学で、一千人近い聴講者に「現代社会と宗教」のテーマで特別講義をされました。講義内容と多く寄せられた質問に心を尽くしてお答えになられたもの、また現代社会の諸問題に対するご見解等を集大成し、『世の中安穏なれ』と題して中央公論社から出版されました。御門主の真面目なお人柄がにじみ出て、またわかりやすく大変いい本だと思い少し紹介をいたします。

 御門主自身「気がついたときには宗教家になると決まっていました。その後、「なる」のならば、出来るだけまともに務めを果たしたいと努力してきた」と述べられています。私は本当に立派なリーダーをいただいている事を誇りに思い、うれしく思いました。教団の現状については「信仰という面からは、かつてのような熱心な門徒が少なくなり、儀礼を通じて寺とつながる人が多くなりました。教えの面からは、阿弥陀如来・浄土といった重要な事柄が現代人にはそのままでは受け取りにくくなりましたから、現代的な解釈が必要になっています。」とお答えになっておられます。また念仏を称えたら救われるとは?の質問に「念仏を称えたら救われる」より「念仏を称える身となって救われる」というほうがしっくりしますとお示しです。

 私がお念仏を称える身となったことは、時間・空間を超えた多くのご縁の働きのお陰であったこと。今、この身このまま、阿弥陀如来の智慧と慈悲に照らされ・包まれて歩める幸せの中に、私があること。さらに、それぞれの工夫で地域社会とのつながりを保ち、門信徒が喜んで参加したくなる寺院にして欲しいという御門主の願いを真摯に受けとめたいと思いました。

 
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