一口法話

10、命に驚き

 最近驚く事件ばかりで、目を覆いたくなります。子が親を殺し、親が子を殺す。誰でもいいから殺したかったなど。早計に何が原因だと云うことは出来ませんが、仏教の教えが希薄になってきたことが根底にあると思います。言い換えたら命の驚きと嬉しさがなくなっているのでしょうか。

 命は自分の物だとよく聞きます。本当にそうなんでしょうか?自分のものならば自由になるでしょう。しかし、なりたくない病気に苦しみ、仕事も家族も何一つとして思い通りになることはありません。生まれてくる国・地域も時期すらも思い通りになりません。自分の物だと固執する所に苦しみの種があるのでしょう。その諸々のことを仏教では因縁と教えます。さすれば私たちは望む望まないにかかわらず多くの縁の中に生きていることが解ります。数年前に真宗講演会にお越しいただいた小川先生は「縁が私そのものである」とお示しくださいました。

現代の教育を受けた私たちは、目で確認出来るものしか信じないので縁が見えにくくなりました。命の有りようをよく見えなくしているのでしょう。私は何げなく誕生したわけではありません「人身受け難し今すでに受く」とあるようにとても大変なことなのです。さらに私の命の内なる強い願いと母と父を縁としていただいたのです。大きな命の中で私の強い願いと、縁が働き私が誕生したのです。

 私の命に感謝と、驚きと喜びを感じたいものです。それを教えるのが仏教です。仏教に遇うことが初めの一歩です。言葉を換えれば念仏に遇うことであります。どうか仏教(念仏)に耳を傾けていただき我が命を感謝と共に歩み、大きな命(無量寿)に還る道を歩みたいものです。

 
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